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徳島地方裁判所 昭和48年(行ウ)2号 判決

原告 叶井長助

右訴訟代理人弁護士 藤川健

被告 鳴門税務署長 蔦健一

右指定代理人 岸本隆男

〈ほか七名〉

主文

本件訴はいずれもこれを却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告(請求の趣旨)

1  被告が昭和四七年一〇月一八日付でなした昭和四四年分所得税の短期譲渡所得金額を金三七一万一六二〇円と更正した処分はこれを取消す。

2  被告が昭和四七年四月一日付でなした昭和四五年分所得税の短期譲渡所得金額を金八四一万一一〇四円と決定したうち金四三八万二〇〇〇円を超える部分はこれを取消す。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告(本案前の答弁)

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  原告(請求原因)

1  被告は、昭和四七年四月一日付をもって、原告の昭和四四年分の短期譲渡所得を金一〇二〇万円としこれに対する所得税額及び無申告加算税を決定し、また昭和四五年分の短期譲渡所得を金八四一万一一〇四円、これに対する所得税額を金三三六万四四〇〇円、無申告加算税を金三三万六四〇〇円と決定した(以下本件各原決定という。)。原告は昭和四七年七月一二日被告に対し右各決定に対する異議申立をしたが、被告は同年一〇月七日付をもってこれを却下したので、原告はさらに同年一一月四日高松国税不服審判所長に対し審査請求したところ、同所長は同年一二月一三日付をもってこれを却下し、その旨の通知は同月一七日到達した(以下本件各異議申立及び本件各審査請求という。)。

被告はまた前記昭和四四年分の所得税等につき、本件異議申立の却下された後の昭和四七年一〇月一八日付をもって、短期譲渡所得を金三七一万一六二〇円、これに対する所得税額を金八九万九六〇〇円、無申告加算税を金三一万四六〇〇円に減額する更正決定をした(以下本件更正決定という。)。

2  しかし、原告の昭和四四年分及び昭和四五年分の各短期譲渡所得は左のとおりであり、被告の右各原決定及び更正決定は、いずれも原告の所得を過大に認定した違法がある。

(一) 原告は、石井峯男から昭和四四年一月二八日取得した鳴門市撫養町大桑島字北の浜一番三雑種地九〇平方メートル、同所番外一番一二雑種地一一平方メートル、同所番外一番一四雑種地五六六平方メートル及び同所九番一一塩田四二六四平方メートルを宅地に造成したうえ、同年九月二〇日西日本観光株式会社に金六六〇〇万円で売渡したが、右代金のうち金一〇〇〇万円はその支払いを拒絶され、原告が実際に受領した代金額は金五六〇〇万円であった。しかしながら右土地を石井峯男から取得しさらにこれを西日本観光株式会社に売却するにあたって、

(1) 取得費 金六三六四万円

内訳

① 土地購入費(土地代金、地代、登記費用等) 五八九九万円

② 塩田埋立費                 四三〇万円

③ その他取得に要した費用            三五万円

(2) 譲渡費用 金一三九万円

内訳

① 仲介人謝礼                  二〇万円

② 旅費(東京行三回)              七五万円

③ 運転手給料(六か月間)            二四万円

④ その他費用(交際費等)            二〇万円

の右(1)(2)合計六五〇三万円を支出している。したがって、右支出金と前記取得代金との差額金九〇三万円が譲渡損失となったので、昭和四四年分の短期譲渡所得は零である。

(二) 原告は、昭和四五年九月西日本観光株式会社から前記四筆の土地を金七二三八万八八九六円で買戻し、これを同月一七日社団法人徳島県モーターボート競走会に対し金八〇八〇万円で売渡した。しかしながら、右買戻し及び売渡しにあたって、

(1) 取得費 金七六一六万八八九六円

内訳

① 土地買戻し代金 七二三八万八八九六円

② 世話人への謝礼金     三〇〇万円

③ 買戻しに要した旅費     二〇万円

④ 運転手給料(一二か月分)  四八万円

⑤ その他の費用        一〇万円

(2) 譲渡費用 金二五万円

の右(1)(2)合計金七六四一万八八九六円を支出している。したがって、昭和四五年分の短期譲渡所得は、前記売却代金から右支出金を差引いた金四三八万一一〇四円である。

3  よって、原告の短期譲渡所得を過大に認定した昭和四四年分についての本件更正決定及び昭和四五年分についての本件原決定はいずれも違法であるから、その取消を求める。

二  被告

1  本案前の抗弁

(一) 本件訴は、不服申立前置等の要件を満たしていない。

(1) 国税通則法第一一五条によれば、国税にかかる処分の取消を求める訴は、所定の不服申立手続を経た後でなければこれを提起することができないとされている。ところで、被告の原告に対する本件各原決定は昭和四七年四月一日付でなされ、同日原告に対してその旨を書留郵便で通知したものであるが、原告は被告と同一市内に住所を有するので、遅くとも同月三日ごろには右通知書が原告に到達しているはずである。そうだとすれば、原告が右決定処分等に対し異議申立を為しうる期間は、右送達の日から起算して二か月目の同年六月三日までである。ところが、原告が本件各原決定に対する異議申立をしたのは同年七月一二日であって、右申立を受けた被告は、申立期間を徒過していることを理由にこれを却下したものである。よって、昭和四五年分につきなされた本件原決定の取消を求める本件訴は、不服申立前置の要件を満していないから不適法である。

(2) 被告は昭和四七年一〇月一八日付をもって昭和四四年分についての原決定を減額する更正決定をしたところ、原告から右更正決定に対して同年一二月一九日付で異議申立がなされたものであるが、右更正決定が原告にとって不利益な内容の処分ならばともかくとして、税の減額を内容とするものであって、原告の法律上の利益は何ら害していないから、原告としては、右更正決定の取消を求める法律上の利益はないというべきである。そこで被告は右の異議申立を却下したのであって、右更正処分の取消を求める本件訴は不服申立前置の要件を満していないから不適法である。

(二) 原告は、法定期間内に異議申立ができなかったのは、脳軟化症等による入院、療養のためであり、右事情は国税通則法第七七条第三項の「やむを得ない理由」に該当する旨主張するが、右主張はつぎの理由により失当である。

(1) まず、右の入院及び療養等の事情は、国税通則法第七七条第三項の「やむを得ない理由」に該当しないものというべきである。すなわち、原告が入院したのは昭和四七年五月二〇日ごろであるが、それまでにすでに十分な期間もあるうえ、入院及び療養等の場合においても代理人等によりこれをなしうるからである。なお異議申立書の記載内容についても、とりあえず「被告の処分に不服がある」旨の内容にとどめ、具体的な不服の理由はおって申出ることも手続上可能である。

(2) 仮に右入院、療養等の事情が「やむを得ない理由」に該当するとしても、原告が前記病院を退院したのは、昭和四七年六月七日ごろであるから、その際、右の「やむを得ない理由」は解消されていたものというべきである。国税通則法第七七条第三項によると、不服申立ては理由のやんだ日の翌日から起算して七日以内にすることができるのであるから、原告は退院した日の翌日から起算して七日目にあたる同年六月一四日ごろまでには異議申立をなすべきであり、かつ充分なし得たはずであるのに、右期間内に不服申立をしていない。

(3) 仮に、右退院時にはいまだ「やむを得ない理由」が解消されていなかったとしても、当時鳴門市会議員であった原告は昭和四七年六月一九日鳴門市議会の会議に出席したのであるから、少くともこの時には右の「やむを得ない理由」は解消されていたものというべきであって、原告は、その翌日から起算して七日目にあたる六月二六日までに異議申立をなすべきであったのに、これをしていない。

2  請求原因に対する答弁

請求原因1項中、原告主張の日時に、本件各原決定、本件各異議申立及びこれに対する却下決定、本件各審査請求及びこれに対する各却下決定並びに本件更正決定がなされたことは認める(ただし、各金額については、被告は明確な主張をしていないのでこれを除く)。

三  本案前の抗弁に対する認否及び反論

1  原告の本件異議申立が国税通則法第七七条第一項に規定する期間を経過した後になされたものであることは認める。

2  原告は脳軟化症及び冠不全により昭和四七年五月一六日意識不明となり同月二〇日から同年六月七日まで健康保険鳴門病院に入院し、退院後も自宅で療養を続けていたが、医師から頭脳を使う仕事をすることを一切禁じられていたので、病状が軽快する同年七月一二日まで異議申立が遅れたのであり、これは国税通則法第七七条第三項に規定する「やむを得ない理由」に該当する。

第三証拠≪省略≫

理由

一  処分の存在

被告が昭和四七年四月一日付をもって原告の昭和四四年分及び昭和四五年分の短期譲渡所得、所得税及び無申告加算税についての本件各原決定をしたこと、原告が同年七月一二日被告に対し右各決定に対する異議申立をしたところ被告は同年一〇月七日これを却下したこと、原告がさらに同年一一月四日高松国税不服審判所長に対し右却下決定に対する審査請求をしたところ同所長は同年一二月一二日これを却下し、その旨の通知は同月一七日原告に到達したこと及び被告が右異議申立却下の後の同年一〇月一八日付をもって、昭和四四年分の本件原決定を減額する本件更正決定をしたことは当事者間に争いない。

二  本件各訴の適否

1  昭和四四年分についての本件更正決定に対する訴の適否

前記のとおり、原告の昭和四四年分の短期譲渡所得、所得税及び無申告加算税について、被告が昭和四七年一〇月一八日付をもってなした本件更正決定は、被告が同年四月一日付をもってなした本件原決定を減額する内容のものであった。

ところで、このように原決定の税額等を減額する更正決定は、原決定の効力を全く失わせてあらためて残額について納付義務を確定するものではなく、原決定にもとづき原告の納付すべきものとされる税額のうち、その減少する部分についてのみ効力を有するものと解すべきであり、右減額の結果として原決定の残額につき原告が納付義務を負うのはあくまでも維持された原決定の効力によるものである。したがって、原決定を減額する本件更正決定は、かえって原告に利益な処分であるから、これに対してその取消を求める原告の本件訴は訴の利益を欠き不適法である。

2  昭和四五年分についての本件原決定に対する訴の適否

(一)  前記のとおり、被告は昭和四七年四月一日付をもって本件各原決定をなし、原告は同年七月一二日これに対する本件異議申立を行ったものであり、≪証拠省略≫を総合すれば、本件各原決定が同年四月三日原告に送達されたことを認定できる。

ところで、国税通則法第七七条第一項は、不服申立は処分に係る通知を受けた日の翌日から起算して二月以内にしなければならないと定めているところ、右送達の日の翌日から起算して二月目の同年六月三日を経過した後になされた本件異議申立が不服申立期間後のものであることは明らかである(なお、原告もこの点については認めている)。

(二)  原告は、不服申立期間内に異議申立をなしえなかったことにつき、国税通則法第七七条第三項の規定する「やむを得ない理由」があったと主張するのに対し、被告はこれを否定し、仮にやむを得ない理由があったとしても、本件異議申立はその理由のやんだ日の翌日から起算して七日を経過した後になされているから同項による救済は受けえないと反論するので、以下この点について判断する。

≪証拠省略≫を総合すれば、

(1) 昭和四七年四月一日付の本件各原決定のなされる以前から、原告と税務署との間で交渉がもたれていたところ、原告は同年三月ごろ右交渉のために公認会計士竜越泰男に税務相談をした。原告は、本件各原決定の通知を受領した同年四月三日の三、四日後に、これに対して異議申立をすることを竜越会計士に依頼したが、竜越会計士は必要な証拠資料として、西日本観光株式会社との契約書及び必要経費の領収書が不足していることを指摘し、これらの書類を整えるよう原告に指示した。

(2) ところが、原告は、これらの書類を用意しないまま、同年五月一一日ごろから体調が悪くなり、同月一六日夜には転倒して後頭部を打撲し一時意識を喪失し、意識が回復してから歩いて近くの生田医院へ行き、生田医師の診察を受けたが、その後次第に悪くなり、同医師に往診してもらうようになりその後も頭痛とめまいが断続したため、同医師の紹介で同月二〇日健康保険鳴門病院に入院した。原告の症状は、冠不全及び脳軟化症による脳循環不全に起因するもので、この病気からすれば重症ではなく、ほぼ普通の状態で入院当初は意識は明瞭であったが、頭痛やめまいが顕著で座ることもできず、思考力・判断力の低下をきたしており、同月二六日頃まで絶対安静の状態で、仕事の話などは制限され、面会も家族に限られ、それも健康状態を聞くことしか許されなかったが、原告は同月二六日頃から一応訓練のため座る練習をはじめた。原告は同年六月七日治癒していなかったが、職業柄見舞客が多く病院に迷惑がかかる反面自宅で療養してもさしつかえない状態になっていたので医師の許可を得て退院したが退院後も一ないし二週間は、いわゆる寝たり起きたりの療養を続けなければならず、神経を使い疲労をもたらす複雑困難な仕事は避けるべきであった。しかしながら、できる限り頭を使い思考力の退化を防止するのが望ましかった。

(3) 原告は、入院中、異議申立をしなければということは頭の中にうかばなかったが退院の四、五日後(同年六月一〇日ごろ)、異議申立をしなければと思い、その息子に必要書類を持たせて竜越会計士に異議申立の手続をするように依頼に行かせたが、同会計士はなお書類が不足していることや原告自身に会わなければできないということで異議申立の手続をとらなかった。なお、原告の息子は運転手として原告に付添い、前記税務相談の時にも立会っており、またこの日も竜越会計士から説明を受けて、本件税金問題の既略及び不足書類について了知していた。その後、原告は、当時鳴門市会議員であったので、同月一九日開催された市議会の産業建設委員会に出席して公的な活動をはじめ、さらに六月末或いは七月初旬になってはじめて、自分自身で本件税金問題処理のために竜越会計士のところへ赴いたものであるが、この時にはなお必要書類が整わず、その後もう一度同人方へ行った後、同会計士によって、同年七月一二日本件異議申立がなされた。なお、退院後も昭和四七年度中は、めまい、頭痛などの症状は完全には喪失せず、よくなったり悪くなったりの一進一退を繰り返していたものであるが、退院後はじめて通院した同年六月三〇日とその後の七月一二日、八月五日の診察結果では、この間の原告の症状に変化がみとめられなかった。

との各事実を認定することができ、この認定に反する証拠はない。

以上の認定事実によれば、原告が不服申立期間内に発病、入院し、入院当初は絶対安静で仕事の話を禁止されていた程であり、このため不服申立期間内に本件異議申立をなしえなかったものと認められる。

ところで、国税通則法第七七条第三項に定める「やむを得ない理由」とは、天災その他これに準ずるような事由で、不服申立期間内に不服申立てをしなかったことについて社会通念上真にやむを得ない事由がある場合で、病気等のため期間内に不服申立てをすることが不可能ないし困難であると認められる場合も含まれると考えるのが相当であるから、前記認定の事実のもとではこれに該当するものというべきである。

しかしながら、前記認定の、原告においては本件各原決定の通知のあった直後にすでに整えるべき書類を会計士から知らされていたこと、原告の息子もこれを了知していたこと、原告は退院後の六月一〇日頃本件異議申立をするため息子を竜越会計士のもとに行かせており、六月一九日には鳴門市議会建設委員会に出席したこと、原告の症状は一進一退の繰り返しであって調子の悪い日ばかりつづくものではなく、かえって、できる限り頭を使い思考力の退化の防止に努めることが望ましいものであったこと及び六月三〇日と七月一二日の医師の診察では、この両日の間の原告の症状に変化が認められないことなどを総合して考えれば、遅くとも鳴門市議会に出席した同年六月一九日頃からは、息子の手助けを得るなどして、必要書類の整備を手がけることができたものすなわち同日頃には「やむを得ない理由がやんだ」ものというべきである。そして、国税通則法第七七条第三項によれば、「やむを得ない理由」があるときでも「やむを得ない理由がやんだ日の翌日から起算して七日」以内に不服申立をなすべきことが規定されているから、同年六月一九日頃より七日を経過した以後であることが暦日上明らかな同年七月一二日になされた本件各異議申立は結局右規定に反するものというべく、したがって右異議申立は不適法なものといわねばならない。≪証拠省略≫によれば、原告は昭和四七年六月一九日開催の鳴門市議会の委員会では出席したのみで発言しなかったこと、同月二四日開催の委員会に欠席したこと及び同年七月一日の委員会に出席したが開会後二五分ほどして気分が悪いといって早退したことを認定することができるが、病気の性質等の前記認定事実に比照すれば、右事実をもって前記の不服申立期間徒過との判断を覆すに足らない。

したがって、被告が前記のとおり本件各異議申立を不適法として却下したことは正当であり、これによれば、昭和四五年分についての本件原決定の取消しを求める本件訴は適法な不服申立を経由していないというべきであるところ、国税通則法第一一五条によれば、国税に関する法律に基づく処分で不服申立をすることができるものの取消の訴は不服申立(適法な不服申立に限られることは勿論である。)を前置すべき旨を規定するのであるから、結局右訴は不服申立の前置を欠く不適法なものといわねばならない。

三  以上のとおり、原告の本訴請求はいずれも不適法であるからこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 早井博昭 裁判官 横田勝年 富田守勝)

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